*人が死ぬと言うこと

写真はイメージ


 核家族化のせいもあるのか、実際の所「お骨を拾う」なんて、そうそうは経験しない。だから二人で箸を使って物を運ぶ・・・ことが「縁起でも無い」ことを大学生にもなって知っている者と知らない者とがいたりする。知識と言うより経験の差なのだろう。
 火葬場で煙を見ながらお骨になるのを待っている・・・映画では確かにそうなのだが、実際はクーラーの効いた待合室で1時間ほど待たされるので、そんなシーンにはでくわさない。(こんなに小さくなって・・・)と思うほどにお骨は小さい。きちんと頭蓋骨や(歯が残った)下顎、有名なのど仏、多少大きめに感じるのが膝だったり大腿骨だったりする。小さくなるように焼いているのだとしたら、その焼き加減は絶妙である。
 故人は私のために、蔵書を全て残した。実際よく借りて読んだりもしたのだが、残された本の99%に正直言って興味が無い。となるとこの本たちはどこへいくのだろう?(どこぞの図書館かブックオフだろうが) その事を故人が知ったら、さぞがっかりするのだろう。
 私は集めマニアだ。集めていないと気が済まぬ。故に物だらけなのだが、私の死後このこ達はどこへいくのだろう? 金目の物は法定相続人によってオークションその他で売りさばかれるのだろうか。
 さらに今回室内を大掃除したところ出るわ出るわの写真類。どれも懐かしい物ばかりで思いで深い物ばかり・・・だが他人にはどうでも良い物。遺影以外は全て焼かれてしまうのだろうか。
 実際なにを書いているのかと言えば、何でだろうか涙の一つも出てこないのに自分でも驚いているからだろう。1つには「今の生活を改めないと、死期が近まるよ!」と忠告してたのだが、一向に変わらなかった。まぁ改まる人を自分は殆ど知らないのいだが。(遅かれ早かれ)との思いがあったせいかも知れない。
もしも天国があるというのなら、天国では歳をとるのだろうか? 映画では死んだままの年齢だ。もしそうだというのなら、若くして死んだ人たちも少しだけ(ほんの少しだけ)救われるような気がするな。