- 作者: 諏訪哲二
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2007/02/16
- メディア: 新書
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・誰もが教育されてきた ・親になると誰もが教育(躾)論がある ・塾や高校大学進学で、家庭の支出でけっこう大きな割合を占める ・そのくせそれほど、議員の集票には役立たない ・天下り場所がそれほど美味しくない。建設族議員に比べ、教育族議員の地味なこと
さて『なぜ勉強させるのか?』は面白く読めた。ちなみに簡単に教育界の動きを見てみると
1・「必修クラブ」という訳の分からない遊びのような授業が(現場教師の反対を押し切り)あった。 2・個に対応するだかなんだかで「選択授業」が(現場教師の反対を押し切り)増えた。 3・「総合的な学習の時間」という訳の分からない授業導入と共に週5日制始まり、(その分どっかの授業を減らさなくちゃ!)ということで「ゆとり教育」が(現場教師の反対を押し切り)始まった。
ちなみに1はもうない。2は間もなく中学ではなくなるらしい。3は導入時に現場から「そんなことしたら学力低下しちゃうよ」とか部活強豪校では「(土曜日は体を休める日だから部活禁止!になって) そんなんじゃ私学に勝てない」と憤った。結局私学は今まで通り土曜日は授業があって部活も強くなっていった。まぁ強い部活の学校に行きたいなら、まずは金持ちになって私学に行け!ってこと???
で、皆さんご存知のように現場が反対し続けた「ゆとり教育」が今年小学が終わり、来年中学も終わる。これからは「勉強・勉強!」だ。
で、この本の著者は「教育は『学力を付けることだけ?』じゃないでしょ!」と
最近の国民が忘れかけている当たり前のことを述べている。教育とは「人間として成長するため」・・・決して早慶やMARCHに入るためじゃない。(だけどそこらの公立・私立高校の先生に話を聞けば、今や高校の目的は「早慶やMARCHに入るため」にあるかのようだ。きっと保護者もそうなんだろう。背に腹は代えられない。ニーズはそこにある)
教師には「教科が好きな教師」と「生活が好きな教師」に分かれるのだそうだ。前者は高校に、後者は小学に多いという。その中で筆者諏訪哲二は「知識を学ぶ」派の人間認識の欄で、鋭い一言を吐いている。その言葉に雷が打たれるように痺れた。こう言われると若輩の私めなぞは言い返せない。以下P71より抜粋
「知識を学ぶ」派の人間認識は、ひとは動物が本能に依拠して自然(環境)を生きるのと同じように、「知」(文化)に依拠して社会を生きると思いこんでいる。
この辺が哲学的に浅い。〜以下略〜
この一言で教育界の重鎮をばっさり切り捨てている。
教育は語り出すと誰もが語れる。だがその大部分は自分の10年も20年も前の話だったり、金八のフィクションを信じ切ってたり、誰もが言い古した言葉のオウム返しだったりする。今回少しかたっただけでこんなに書いてしまった。今回はこれで終わりにしよう。