*「発見」吉本ばなな他、著

 エッセーなぞ読むのは久しぶりだ。それだけ徒然なのと、気を惹く読書に不足していたと言うことだ。この本は吉本ばなな以下29人のエッセーからなる。トップバッターは、その彼女だ。
 いきなり犬の話だ。「犬にとっての唯一絶対のケアは、多くの時間を共に過ごすことだ。それ以外は、どんなにがんばっても通用しない。だから、ものすごく家を空けがちの人は、犬を飼わない方がいいと思う。〜中略〜そして思った。もしかして、子どももそうなのかも知れない。」
 当たり前のことだが犬も子どもも持ってみないとこの真理にたどり着けない。残念ながら「おじゃる丸」でも「あんぱんまん」でも、究極的には子守はできない。そんな真理を言い表したエッセーから始まる本書ではあるが、所詮エッセーは自分に不向きと悟る。良い悪い、では無い。自分の感性とあうものばかりとは限らないのだ。
 たとえば、駅へと向かう公園で母と二人の幼子がいる。同じ服装で髪型だけが微妙に違う女の子だ。よーく見れば微妙にサイズが異なり、双子では無く年子かと思われる。そんな二人を見ているだけで自分は幸せになれる。そしてこの家族の幸せが続くことをついつい祈ってしまう。
 目的地の駅で降りれば、駅ナカのパン屋でショーウィンドをのぞき込む子にやはり微笑んでしまう。なぜか休日に制服の幼子がショーウィンドを一心に覗いて何か指さしている。きっと私学なのだろう。制服にはそれに似合うサイズというものがある。だからあまりに小さなボディが制服にくるまっていると、なんか微妙に微笑ましい。しかしそれはおそらく自分の感性なんだろう。所謂日本語の言うエッセーとは感性のぶつけあいなので、「適う、適わない」で評価が分かれてしまう。なかなか100%適うエッセーと出会うこと自体無理なのだろう。
 自分にはドストライクだった吉本ばななのエッセーが「ネコ派」の方にもストライクなのかは分からぬ。ただ久しぶりに犬を飼いたくなった。つい先日久しぶりに首輪の下から肩にかけてめいっぱい掻いてあげた。あまりに気持ちが良いとき犬はいつも自分でやるように無意識に足を動かしてしまう。そのくらい気持ちが良いのだろう。そんなことをしたせいかもしれない。
 車にもバイクにもボストンバッグにも入ってくれる犬ならば、日本全国一緒に旅できるかもしれない。そんなわんこと出会えないものかな。