*「体は全部知っている」吉本ばなな

体は全部知っている (文春文庫)

体は全部知っている (文春文庫)


吉本ばななに、まだはまっている。今度は短編集だ。深みはあまり無い。しかし好きなフレーズや感性には巡り会える。何気ない毎日の通学路に、ふと一輪の花の美しさや夕焼けの山並みに感動するような、そんな感じだ(作家では無いのでこの素敵さを的確に表現できないのが悔しい)
「二十代になる直前の娘というものはたいてい生意気盛りで、世の中を自分の小さな頭の中にすっかりとおさめているつもりになっているものだが、私ももちろんそうだった。そしてたいていは何かわけもわからずむしゃくしゃしたりいらいらしているものだ。多分、ホルモンの問題なのだろう。しかしそのホルモンの乱れが以上に敏感な感性を生むことがある。それは空にほんんおいっときだけ鮮やかに虹がかかるように、とても短い期間の輝きだ。その上、その匂いをかぎとることができる存在というものは希にはいる」(ミイラ)
前半は多くの者がかんじることだが、後半は良い感性だなって思う。ただこの「ミイラ」という作品にはついて行けないのだが。たとえば19歳の自宅通いの娘が軟禁されて犯されながらも何度も絶頂にいくというシーン。家族は騒がないのか。そういう娘がそんな簡単に絶頂感をもてるのか。第一達したことがあるのか。
そういうことを短編に求めながら読んではいけないのか。
彼女の作品の主人公は皆女性だ。改めて女流作家の主人公は女性なのかと考える。この作品のなかの女性色んなタイプが出てくるが、吉本ばななの作品に出てくるいつものタイプだ。不倫も多い。そんなに世の女性は不倫をしているものなのだろうか。
サウンド・オブ・サイレンス」という短編は、最初分からなかったが、読んでいくと(あぁ、そういうことだったのか)と、「緊張と弛緩」の微妙なバランスのロープの上で感じる。
「いいかげん」は、こういう感性の女性とは、あってみたいものだなぁ、と思える女性が出てくる。心根が優しく現代っ子のようでありながら、ちょっと古風なような、上品さがある。そう、どこかに上品さは隠し持っておきたいものだよね。
短編を読むと長編が読みたくなる。
P.S.「サウンド・オブ・サイレンス」と「イエスタディ」は、《ほぼほとんどの大人が知っている曲の中で》という但し書きの中で言えば、両横綱に位置する曲だと思う。そしてイントロが流れただけで、その頃聞いたバックグラウンドも含めた様々な思いが錯綜する曲だと思う。
サウンド・オブ・サイレンス

サウンド・オブ・サイレンス