くぅ(2)

 だけどその声は届かないのか、妙にパパが呼ぶ「早智子ー」の声が遠く、小さい。泣きながら手を差し出すが、誰も早智子の手を掴んではくれなかった。暗闇の中で泣いて泣いて何時間も経ったような気がする。気付けば人の気配がなかった。そんなわけないのに。ようやくぼんやりした灯りの前で仙人のような(早智子は小学校3年の時に「杜子春」という本に載っていた仙人の絵を思いだした)老人を見つけた時には、驚くと言うより早智子らしくもなく、興味本位で近づいていた。この夜は不思議なできごとだらけだったな、って思い出すたび思うんだ。だって自分らしくない行動しているもん。
「お嬢ちゃん」
仙人は優しいあったかい声をしていた。
「お嬢ちゃんちは、ペットを飼っているかい?」
早智子は首を振った。一人っ子の早智子は、話し相手になる、可愛いペットが欲しくて欲しくて仕方なかった。由梨亜ちゃんちのミニチュアダックスフンドは遊びに行くと、いっつも鼻と口をベロベロと舐めてくるから、最後は悲鳴をあげて逃げちゃうの。ボールを投げれば短い足でトントンと跳ねて追いかける。羨ましくてしかたなかったけれど、うちのマンションでは飼えないの知っているでしょ? とママから何度も言われてる。知っているけど・・・どうしてうちはマンションなの? それに唯ちゃんちのマンションはペット飼っても、いいんだって言ってたよ。
「実はな、ここにこういうペットがいるんじゃが・・・」
 仙人は「しんげん餅」がいっぱい入るような菓子箱の隅をちょっと開ける。そこから長い耳とドングリのような目を持つ生き物がこっちを覗いている。
「うさぎ?」早智子はそれまでの恐怖を完全に忘れて菓子箱をのぞき込む。
「うんにゃ」仙人は首を振る。両手に入るハムスター程度の大きさだ。うさぎな分けない。 もしかして(ミニチュアうさぎ?)と心の中で思った瞬間、仙人は、
「いいや、うさぎじゃないよ、お嬢ちゃん」そう言いながら両手で大事そうにすくい上げて早智子の前に見せてくれた。ひよこかハムちゃんの大きさ。毛はホワホワしていて繭玉のよう。黒目の大きい瞳が早智子を見つめて、
「くぅ」
 と一言鳴いた。甘えているかのようで、その時早智子は(絶対に欲しい! 離したくない!)って感情で心の中がいっぱいに、いっぱいになって、それから仙人と目があった。
・・・(続く)