*『沈黙 −サイレンス−』

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 遠藤周作は「狐狸庵先生」としてしか知らない。その理由も知らない。私にとって、彼は昔の人だ。言うなれば、三島由紀夫川端康成だったりする(それほど巨匠ではない、と言ったら怒られるか・・・)。てなわけで未読の作家だ。私は彼を大衆小説家なのだとも思っていた。しかし本作「沈黙」を、観た後では考え方を変えねばならない。巨匠マーティン・スコセッシ遠藤周作存命の頃に映画化を申し込んだと聞いてさらに尊敬の度合いが増した。 不可能を可能にしてきた「イエズス会」、2人の司祭が、棄教した師の司祭に会いに(キリスト教禁教後の)日本を訪れる話だ。彼らにしてみれば、絶対に自分たちの力でキリスト教を日本に根付かせてやるって思ってきたんだろう。自分たちは神に守られている。死なない、と。若い二人の司祭にアンドリュー・ガーフィールド。よく見る人だなぁとググれば「スパイダーマン」「わたしを離さないで」「Dr.パルナサスの鏡」「ソーシャル・ネットワーク」「大いなる陰謀」など結構出会っていた(笑) もう一人の司祭はアダム・ドライヴァー。(あぁ−誰だ誰だこの顔は・・・!)最後までモヤモヤしていたが「スタ−ウォ−ズ」のカイロ・レンじゃないか。なぜに気付かなかった。
 結論から言えばすっごく良い映画だ。巨匠マーティン・スコセッシならば、興行的成功に囚われず、こういう映画を作ってみたいと思うだろうし、周囲も許可してくれるだろう。そしてその思いは(興行的なことも含めて)叶ったと思う。良い映画だから録画して録っておきたいとも思う反面、これを見なおす勇気はそうそう湧かない。そこらの日本人と一緒に見ても、棄教することの重さには理解が及ばないだろう。(例え、死の瞬間に『主』を握りしめていたとしても) 誰とこの映画を観れば良いというのさ。
 観る年齢や時代背景まで分かるようになってから観るとして・・・これは観る人を選ぶ映画、そういう映画だ。ちなみにニ−アム・リ−ソンや浅野忠信窪塚洋介らも良い仕事をしていました。良作です。重いけど。