*『ラオスにいったい何があるというんですか?』(村上春樹)

 この変わったタイトルゆえ、しばらく見(ケン)を決め込んでいたが、村上不足を感じての購入。読んでみれば「ラオス」以外にも「ニューヨークのジャズクラブ」「ボストン」そして「熊本」にも(まぁ他にも)春樹が旅する紀行文だ。司馬遼太郎の紀行文と比較すると(普通比較はしないが)、全く違うテイストになる。
 春樹氏もけっこうよい年齢なんだが、自分も旅している最中に感じるようなことを書いている(もちろん、自分が書いた場合は原稿料がもらえるクオリティを満たさないのだけれど)。そして旅の最中に感じたことを文字にしておけばこういう感じになるんだろうな・・・とか思う(まぁ実際してないので、その時感じた新鮮な思いは今再生することはできないんだけれど)。そして同じようなことを春樹氏も書いていたっけ。
 多少この( )付き文章のようなのが多く、しかも多少明石家さんまのようなくどさもあるのだけれど(もちろん、さんまは紀行文は書いてないのだけれど)、まぁそれが彼のテイストでもある。
 アイルランドのウィスキー紀行文の後に、そしてドリューバリモアの『25年目のキス』と言う名の(実際は)レッドソックス・ラブ!の映画を見た後で、「ボストン2」を読むと、そういう所で過ごせた氏を羨ましくも思うのだ(まして、入手不可能な「フェンウエィ球場」:グリーンモンスターで有名な:のシーズンチケットを持つ友人がいたりとか・・・そこはノーベル賞候補人気作家のなせる業なのだ)。
 おっと、いけねー。( )付き文で「〜なのだけれど」多用で完全に春樹風になっている。これは村上不足解消の証拠。ちなみに、本書で春樹氏が、普通に(〜だ)調を使いながらも、読者に対して語る時(〜です・ます調)に変わるのは、なんか違和感たっぷり。きっと国語科教師は生徒の作文読む時にこういう違和感を感じているのだろう。
 春樹には春樹の、司馬遼太郎には司馬遼太郎の、紀行文の良さあり。